M部長の育休日記第2話
M部長
30代
会社員
管理職
5児のパパ
【妻への感謝がさらに深まる育休】
8 月19日に、無事に 5 人目生まれました。細かく言いますと、
弊社には、子供が生まれたら 1 日の特別休暇が付与されますので、
19日は、特別休暇を利用してお休みをし、20日~育休を取得しております。
育休開始1週目は、妻は産婦人科に入院中の為、1人で4人の子供と一緒に自宅で過ごします。
この時の心境は、パパはみんな同じだと思いますが、生まれてきた子どもと、
妻が何事もなく早く退院してほしいということだと思います。
今回特に、早く退院してほしいという気持ちがつよかったのですが、
4人の子供を1 人で、しかも全員夏休み中でどうしようという自分の不安が大きかったからでした・・・
幸いにも、子供は生後少し黄疸(おうだん)がありましたが、
それ以外は何も問題なく、妻も、出産後1日は歩けませんでしたが、
何の問題もなく最短で母子ともに退院できました。
特に、出産後の母親の体はハピネス保育園の方曰く、
「産後の女性の骨盤は、自動車事故で重体になった人と
同じくらいのダメージを受けているとのことです。
5人目ともなると、3トントラックにはねられたくらいかもしれませんよ!」
産後一ヶ月は、車の運転はもちろん、転倒の危険があるので一人でトイレはいけない、
お風呂に入ってはいけない、助産師さんによっては、二足歩行をしてはいけない!
といわれるところもあるくらいとのことです。
過去 4 回の出産の度に出産における母体の影響を言われてきましたが、
今回強く無事でいてくれと思ったことで、より、妻の体を労わることができ、
より、自分の体を痛めてまで生んでくれたことに感謝できました。
子供の数が増えれば増えるほど、愛情は分散されるのではなく、
限界値を押し上げてくれるのだと思いますし、育休を取得して育児に専念するぞと
思ったからこそ素直に妻に感謝ができたのだと思います。
【仕事を言い訳にしていたことに気づかされる!】
妻入院中の 1 日の流れですが、夏休み中と、
1 歳のセイタロウは 入院明けということで4 人とも家にいる状況でした。
ちょうど、育休開始と同時に福岡に緊急事態宣言が出たのもあり、家で過ごす毎日でした。
こどもたちの朝起きる時間はバラバラで、 大体、6:00くらいに 1 人起きだして、
1 番遅い子は10時くらいに起きてきます。
朝ごはんを作って、セイタロウに食べさせていると、
3 歳のしずくは自分で食べられるのに、食べさせてといってきたり、
小学生 2 人には自分で用意をして もらうように促しますが、用意するどころか、
2 人で朝から少しの大きい方のウィンナーの取り合いで
喧嘩を始めたりと思ったようにはいきません。
朝ごはんだけでなく、洗濯をするにも掃除をするにも、
それに集中してできることはありませんでした。
テレワークをしながらであれば、「今仕事中だから」と
いって仕事ができたので 1 日中ずっと、家事育児をするということがこんなにも、
ずっと考えていることだとは思いませんでした。
育休を取得すると、 仕事をするという逃げ場はありませんので本当に、
1 日の家の流れに 集中しなければなりません。
逆に言えば、育休をとり仕事の時間を0にしなければ、 家事育児をしたとは言ってはいけないと感じました・・・
外部要因で自分の予定通りにいかないことは、
仕事においてもあるかと思いますが、家族のことはある意味内部要因なので、
仕事の時以上に、腹立たしく感じてしまいます。なんで邪魔するの?
という感情になってしまいました。
特に、朝食の忙しく思い通りにいかないときのリンタロウから言われる、
「今日の夜ご飯なに?」という質問にはイラっとしてしまいました。
【母子退院!挫折の 2 週目!父の乳(武器)って?】
入院の最終日は、家族みんなで産婦人科にお泊まりをし、
全員で家に帰ってきました。
初めて家に 7 人そろい感動しました!
家族そろって母子を迎え入れるのは 5 人目 で初めてで、
夏休み中の出産にその面では感謝でした!
この時はまだ名前が決まっていないので、みんな、
「うんちしてるよ!!」「だれが?」「5 人目!」
「お風呂入れるよ!」「だれを?」「5 人目!」というように、
「5 人目」というワードが眞子家で急上昇しました。
長女ちひろは、もう、名前「五朗」でよくない?と、
「眞子五朗」になるところでした。
最初は 1 時間置きくらいに泣いては授乳でしたが次第に 3 時間置きくらいに なってきました。
今回、育休ということもあり、次の日の仕事を気にしなくてよいので 夜中に妻と一緒に起きて、
妻の負担をなくそうと意気込んでいましたが、 毎日ぐっすり眠ってしまい、
気が付けば朝!母親は、赤ちゃんの泣き声にとても敏感ですぐ起きられるとのことでしたが、
全然起きない私に冷たい視線があり、 妻への言い訳で、
「この時期は新生児とお母さんが24時間一緒にいた方がいいので、
2 人の時間を邪魔しないようにあえて、起きないようにしている」と言うと、
それだけでも、本当に助かるといわれました。
できた、妻です・・・ そういわれると、絶対に、2 人の時間を邪魔しないように
他の 4 人を近づけないようにしようという極端な発想でやる気を出し、
4 人へも何かあったら、ママではなくパパに言いなさい! と偉そうにいいました。
しかし、こどもは、「ママがいい」と、言われ、 無理やりパパがやろうとすればするほど
「ママじゃないといや」と言われるようになりました。
自分の役立たずさと、敗北感で、挫折を味わいました。私からも乳がでないものかと・・・
しかし、ないものを嘆くよりも、より父親らしい武器で子供たちと接さなければと思い返し、
経済力を使ってみたり、(100円上げるからパパとお風呂入ろう!とか)
体力と筋力を使ってみたり、(1 人で、4 人全員抱っこに挑戦!とか) 「パパがいい」と
言ってもらうようにいろいろやってみました。
1 番効果があったのは、時間をかけてたちゃんと対話するということです。
「ママがいい」という子供たちに対して「なんでママがいいと~?」と
理由を聞いてちゃんとそれに向き合うことが 1 番効果がありました。
「だってパパはいつも、ちゃんと最後までしてくれんやん」など、
こちらに原因が あったこともあり対話することがとても大切だと思いました。
【今後の休みの日の接し方】
1 歳のしゃべれないセイタロウも、意思がちゃんとあるので、
「ママは今赤ちゃん産んですぐできついから、パパとしよう」というと、
わかってくれる時の方が多いんです!(お腹が減りすぎて聞く耳をまたない時もあります)
子供 1 人 1 人にそれぞれやりたいことや、何に対して怒っているのかということは 違っていて、
それにちゃんと向き合う時間をとれていなかったことにきづかされました。
仕事をしながらだと、そんなに時間を 1 人 1 人にかけてその子がどう思っているかと聞かずに、
自分の為に早く解決させたいので、決めつけてこどもと接していたように思います。
夏休み、コロナ禍、川崎病入院という条件がそろって
たまたま、子供全員がずっと家にいるという状況でしたが、
そんな状況だから通常よりも多く子供たちと向き合える時間が多くつくれて、
よかったなと思います。通常の休みの日は、自分の体力回復や、
頭の整理の時間が欲しく、体は家族と一緒にいるが、
頭は自分のことばかり考えていたなと思います。
男性育休を産後に2 か月とれば、今の日本の暦上、2 か月の間に何かしらの大型連休が入ります。
(夏、冬、春休み、ゴールデンウィークに、シルバーウィーク) 違う状況を
たくさん味わえるという意味でも 2 か月とってみるメリットはあるかと思います。
とりあえず、夏休みは地獄といっていた妻の気持ちが本当の意味で分かりました。
(3,4週目 新学期開始~1 か月の達成感 「育児の大変さ 送り迎え編」に続く)
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